日本の夜、明るすぎませんか?

 欧州の街の灯り

昔々。旅行で初めてパリに行った。
ルーブル美術館近くのホテルを確保して、周辺をぶらぶらした。セーヌ川を挟んで太い幹線道路が通っていて、交通量は多く賑やかな場所だ。観光客の姿が目立っていた。広大な美術館を歩き回り、夕方には若干疲れてホテルに戻る。
緯度の高さからか、日暮れは遅い。夕飯をとろうとレストランを探しに出かけたときはまだまだ明るかった。

お腹を満たして店を出たときは驚いた。
先ほどまで歩いていた通りは、真っ暗になっていた。とっくに夜だから真っ暗で当たり前なのだけど、街が暗い。停電か、と思ったほどだ。
日本の繁華街しか知らない身にとって、ほんとうに暗い街並みがあった。まばらに立つ街灯は、頼りないオレンジの光でその足元だけを照らしている。通行人は10メートルも離れればただの人影になる。物騒だな、と思った。来るときは歩いたくせにタクシーでホテルに戻ったのを覚えている。

文化と文明

欧米の映画などで観る部屋は、だいたい薄暗い。そもそも天井に蛍光灯がついていない。壁やフロア、机に置いてあるちっちゃくて暗い電灯だけだ。
真っ暗な部屋でカウチに座ってテレビを観ていたりする。日本ではたぶん叱られる。
でも、薄暗い部屋はなぜか文化度が高く見える。散らかっていてキレイとは言えない部屋が、ちょっと雰囲気が良くなったりする。そこらの調度品も陰影の中ではセンスよく変身するのも不思議である。
夜は暗いものだ。夜に昼光を求めるのはどうかと思う。


日本の住宅は、部屋の入口付近に電気のスイッチが集中して並んでいて、パチっとやれば天井ど真ん中の蛍光灯(もしくはLED)が白い光で部屋を満たす。明るいことは善。暗いとこで何やってんの、暗いと目を悪くするぞ、暗いのは貧乏くさいぞと。

日本人は、便利なものがあるとすぐに飛びつく。高度成長期に蛍光灯が出てきて、みんながわーっと飛びついた結果、どれもこれもが明るい家になってしまった。日本家屋は元来暗かったではないか。影があってこそ光が生きるということを先人は知っていたのに。文明が文化を駆逐してしまった。

日本の街を歩いていると、ぼんやりとパリの街灯を思い出すことがある。ギラギラ明るくて雑多なとこが日本なんだよと言われるかもしれないが、歴史とか文化の深さとかが表れているような気がしてならない。

欧州車の室内も暗い(暗かった)

クルマにも欧州の明かりの文化は見え隠れする。
93年に製造されたメルセデス・ベンツS124の室内はとにかく暗い。ダッシュボードのバックライトには、0.4Wという、日本では流通していない暗い白熱灯が多用されている。
このライト、非常に暗い。夕方など、ライトのスイッチをひねってもインジケータが点いているかどうかさえわからない。
考えてみればメルセデスのやること、意味がないわけはない(はず)。夜は当たり前だが暗い。室内が明るいと危険である。室内は真っ暗なのがベストだけれど、スイッチの操作をするのに最低限の明るさだけを与えたのだ。夜のクルマの室内はなるべく暗い方が良い。


最近は、そんなメルセデスも変わってしまったようだ。
室内を好みの色、明るさに照らすアンビエントライトとかいうのを売りにしていたりする。ヘッドライトは明るいLEDになったということもあるのだろうか。ラブホみたいにカラフルなイルミネーションや、でっかい液晶パネルが鎮座するダッシュボード。これがメルセデスの哲学なのか。
きらびやかなLEDに照らされていると日本の繁華街にいるような気分になってしまい、なんだか興ざめである。

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