3人足りない4人組。ギャング・オブ・フォー来日公演2019

遭遇


2019年10月。
ギャング・オブ・フォー来日公演の2日目、代官山UNITに行ってきた。

雨上がりの恵比寿駅から10分ほど歩くと、鎗ヶ崎の交差点のすぐ向こうに、ライブハウスが見えてくる。
ああ、開演までまだ30分もあるな、どうしようか、と思いながら角を曲がる。すると、左手の横断歩道の向こう側から、背中を丸めてヒョコヒョコこちらに歩いてくる、金髪の男性が目に入りました。

「…あ…あ」

アンディ・ギル氏であった。

「うあああああ!」(無言だが)と固まっている僕の前を、彼はやっぱりヒョコヒョコと通り過ぎ、会場であるUNITの裏口へ向かう。そしてドアに手をかけると、視線に気づいたのか、こちらを振り向き、にっこり柔らかく微笑みました。

駆け寄ってでも握手してもらえばよかった、と僕は今でも後悔している。

開演

会場を見渡すと、それなりの齢を重ねた顔が多い。殺気はなく、のんびりと開演を待っています。
近々来日するストラングラーズの曲を聴いて、ああ、いいな、とか思っていると、客電が落ちてきた。
そして、予定より約30分押しで、4人のメンバーがステージに姿を現した。

ギル氏はいつものようにステージ向かって右手に立った。ストラトキャスターを手にすると、フィードバックを鳴らしはじめる。
さっき見たときとは違って、彼の眼光は鋭くなっていた。皮肉を含んだ不敵な顔だ。ギターアンプに近づくと、弦を弾き、引っ掻き、叩き、たっぷりとノイズを鳴らす。

十分にフィードバックが広がり、1曲め『Anthrax』のドラムが入ってきた。

四人組


ギャング・オブ・フォー

ギャング・オブ・フォーは、おそらく、僕自身の音楽的基礎の3分の1を占めているバンドである。

10代の僕の耳に入ってきた彼らの音は、当時とてつもなく衝撃的だった。
アンディ・ギルのギターの破壊力は言うに及ばす、ドラムを始めたばかりだった僕は、今まで聴いたこともないビートに夢中になったのだ。

オリジナルのリズム隊は、ドラムのヒューゴ・バーナム、ベースはデイヴ・アレンだった。アンディ・ギルのギターばかりに焦点があたりがちなギャング・オブ・フォーだが、インプロ的に感覚で鳴らすギルのギターは、革新的なこの二人のリズムがなければ引き立たない。
最後にジョン・キングの辛辣な政治的メッセージが乗って、初めてこの四人組が成立するのである。

バーナム氏のドラムは、いわゆるファンクのそれではなかった。基本は平板な8ビートに、少し引っ掛かり気味の味付けがなされる。決して派手ではない、どちらかと言えば地味なプレイだが、綿密に計画された、非常に構築的なドラムパターンである。

アレン氏の、イギリス風に解釈された、うねる「亜流ファンク」ベースが入ると、バーナム氏のドラムと絡むことで、リズムにちょっと間をとったような一瞬の「疎」の部分が生まれて、全体の緊張感がいっそう際立つ。

ギル氏のギターカッティングも同様で、隙間なく音が詰め込まれているよりも、そこここに散らばったスキマが、不安感や緊張感を増長させるのである。

狂暴な音を重ねるのではなく、無駄をギリギリまでそぎおとした結果、狂気さえ感じるテンションを革命的に生みだす、そんな四人組であった。

現在


2019年の今、目の前にいるギャング・オブ・フォー。
バックのリズム隊は、十二分な演奏スキルで、ブイブイと若々しく、力強く、かつ正確なビートを鳴らしている。上手い。ファンキーだ。

しかし、なぜか緊張感がない。足をすくわれそうなあの不穏な空気がない。
終始、なにか漠然とした物足りなさを感じながら僕は観ている。

ギル氏は、前回来日したときよりも、さらに動きが鈍っているように感じたのは気のせいか。そもそもピックを持つ右手のストロークが、やや心許ない。
ピックが弦に触れずに音が飛んだり、ミストーンが大きく鳴ったり、見ている方は「どうした?」と不安になる。だが当の本人はまったく意に介さずといった風で、眼光鋭く前を向いていた。

そもそも今日の公演は、ギル氏の体調不良が原因で、半年ほど延期されたものだ。ひょっとして、今も体調は万全ではないのかもしれない…。

いずれにしろ、今、ギル氏にとって必要なのは、あと3人のクセモノであろう。


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